∥突然襲った異変と死への恐怖
平成15年8月初旬、当時会社員であった私は普段感じたことがない心臓の違和感を覚え、内臓の不吉な変調を感じていました。10月以降になると電車通勤が辛くなり心臓の痛みが増してきたのを機に、思い切って会社の休職手続きを取ることを決断しました。
背景には、心臓の異変でいつ心臓が止まるかもしれないという言いようのない恐怖感と、自宅待機で体調回復を図りたかったからです。しかし、自分の意に反して心臓の状態は思うに進まず、血圧が 210/165を上下する状態の状況が続きました。
11月に入ると心臓の動悸が強くなり、夜間寝る前には、はげしい心臓の動悸から翌日までには死んでいるかも知れないという底知れぬ恐怖感が襲ってきました。
12月に入り、大手病院心臓内科でカテーテル検査のため入院しましたが、結果は心臓内には何ら異常は認められず、血圧のみが何らかの原因で上昇していると判断されました。同時に慢性腎炎のIGA腎症との正式診断を下され、心臓の異変は原因不明のままで解らずじまいでした。そうした病の中、私は自分の体が自由に動かず、“このまま悪くなる一方で、いずれは死んでしまうのか”そう思うと無性に悲観的な思いが込上げてきました。
”私の人生は一体何だったのか”と今までの人生への居たたまれない悔悟の思いが体全体に吹き出してきました。
“こんな状態でこのまま人生を終わりたくない”という、強い思いが頭の中を駆け巡ったのを今でもはっきりと覚えています。
私自身、いつも、人生を楽天的に考えていましたが、今度ばかりは眼が覚めました。なぜなら、何時までたっても全く病状が改善しなかったからです。 当時職場内の私の周りは私の体調が非常に悪いのを心配してくれ、あれこれと情報を与えてくれました。
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∥気功による驚異的な回復
その中で、ベテランのHさんが重傷の腰痛を患っていたとき、気功で職場復帰を果したという話をされ、私は気功というものを真剣に考えるようになりました。それほど、体の絶望感を打開できるものがなく、せっぱ詰まっていたのです。
そんな時、若いHさんが“松永さん、こんなものがありますよ”と、紹介してくれたのが気功師養成専門学校でした。インターネットで偶然に見つけたということで、内容は全く分かりませんでしたが、今になって思えば、この大病によって、気功を知ることができたのは本当に運が良かったとしか言いようがありません。
平成16年2月から学校に通いはじめ6ヶ月が過ぎた頃、私の背中に激痛が走るようになりました。両方の腎臓がパンパンに張れあがったのです。気功を始めると起こる、いわゆる好転反応です。
顔色は腎臓病特有の真っ黒な顔に変わっていました。この時は、体の状態が悪化し学校に通うことすら困難に思われ“このまま、この気功を続けるのはもう無理だ”と真剣に悩みました。
そんな中で、先生の“気功を続けていれば必ず良くなります”という言葉がよみがえり、弱気を取り直して続けることにしたのです。しばらくして、猛烈な痛みと血尿を伴って結石が出てきました。
なんとこれが2週間ごと続き、数ヶ月の間に6個の大石が排出されたのです。
その時わかったのですが、私の病は腎臓結石も同時にわずらっていたのです。
その後、1年間で合計11個の石が排出されました。(通常は薬を飲んでも結石が降りるのは1年で2個位とのこと)体を振動させることで体内の石が降りやすくなっていたのです。学校を卒業する頃には、体の具合はかなりよくなっていましたが、自分自身でよくなったと思える状態にはまだ程遠いものでありました。
具合としては通常の5割位まで戻ったという所でしょうか。
実習の勉強を兼ねて足掛け3年は通っていたと思います。
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∥気功とともに歩む人生
人生には必ず転機が訪れます。
平成18年6月、私はここが人生の転機だと感じ、24年近く長い間お世話になった(株)オリエンタルランドを退職しました。
気功師としてこれからの自分の人生を歩むため。また、体の療養に専念して、今までの蓄積した疲れを癒し活力を取り戻すためです。
事実、私の体はこの期間の充電により活力と元気を取り戻すことができました。長い間の勤務の疲れがどっしりとたまっていたのです。
それと共に、私自身の体調が悪化していた最中、考案していた「ゴロゴロ気功」が私の腎機能を回復に導いてくれたのです。
今私は、病で悩んでいる方々、精神面で疲れている方々等、多くの方々に私の気功法を覚えていいただき、健康な体を取り戻してほしいと心から願っております。
当たり前のことですが健康になれば、人間は何でもできます。健康こそが全ての始まりです。多くを望まず、今ある自分を感謝できる気持ち。慢性腎炎という病気が、私にこのことを教えてくれました。
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